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2009年8月

マイケル・ジャクソンの誕生日に想う

今日、8月29日は故マイケル・ジャクソンの51回目の誕生日です。
彼はこの日を迎える事なく亡くなってしまってから、もう2ヶ月が過ぎようとしています。

私はマイケルの生前は特にファンではなかったのだけれど(スリラーが流行っていた頃、一時好きだった位)、亡くなってから過去の映像を見て、歌を聴いて、改めて好きになりました。
その後、初めは動画サイト、CDやDVDを見て彼の事を知るにつれ、私たちがメディアによって信じ込まされてきたスキャンダルや奇行と報道されて来た事について、「どうもおかしい、この人はそんな奇妙な人ではなかったのでは?」と、言う思いが膨らんできて、マイケルについて書かれた書籍や、You tubeで見る事の出来るインタビューなどを、時間が許す限り見て、自分なりに、メディアで歪められて報道されて来たマイケルと、本当のマイケルの実像、彼は何を考えて、何を伝えたかったのか、調べてきました。

これから書く文章はかなり長いものになります。
私は今から10数年前まで、扶桑社と言う出版社の専属カメラマンを5年ほどやっていました。そう、以前は私もメディアの関係者で、その仕事が私の生活の大半を占めていました。
週刊SPA!の仕事を中心に、女性誌や、書籍の仕事の取材に同行し、写真を撮り、様々な人に会い、話を聞き、様々な場所を訪れました。出版の仕事、雑誌の仕事に関わる事は、若かったあの頃の私にとっては、とてもエキサイティングな事でした。
しかし、私はその生活が数年過ぎた頃、だんだん気がついてきたのです。

メディアは、何かを生み出しているのではなく、消費して食い尽くしているだけだ。
物事の本質より、今、何を書けばが一番読者を獲得出来るのか?と言う事の方が大事であって、物事を深く掘り下げ、創造的な事をしているのは、メディアの世界の10%にも満たないのでは?
メディアの影響力はとても大きく、時によっては、物事を生かすことも殺す事も出来る。そして、本当に大事な事は語られない。

もちろん、これは私が感じた事であって、そうは思わないメディア関係者もたくさんいるだろう。
でも、気がついてしまったからには、私はもうメディアに内側から関わる事は苦しくて出来なくなってしまった。
私は会社を、そして、プロとしてのカメラマンである事を辞めた。

これから書く事は、私がクレアボヤンスのスキルを使って得た情報も含まれます。
だから、人によっては、何でそんな事を断定的に言えるの?と思う事もあるかもしれません。そして、また引用する本の文章の中には、ある民族の名称が出て来たりもしますが、私は特定の民族を非難、糾弾、攻撃するために引用するのではありません。

「マイケル・ジャクソン裁判 あなたは彼を裁けますか? 無罪への全記録」
アフロダイテ・ジョーンズ著

2003年に児童虐待疑惑で起訴、逮捕され、2005年から裁判が始まった裁判の記録を、初めは反マイケル姿勢で報道し続けて来たアフロダイテ・ジョーンズ女史が、無罪判決が出た後、自分が事実を見逃していた事、マイケルの破滅を目論むメディア・マシーンの片棒を担いでいた自分に恥じ入り、マイケル側の立場から、裁判の記録を書こうと思い、マイケルの弁護士トム・メゼロウ氏(この方、めちゃくちゃ渋くてカッコいい弁護士です!)の協力を得て書き上げた本である。
マイケル側の立場から書かれてはいるが、非常に中立な視点で書かれているし、読み物としても大変面白い。

裁判の記録をここで書き始めると、長くなってしまうので割愛しますが、印象深い部分を引用します。

『しかし、「無罪」評決が法的に鳴り響いてはじめて、人々はあることに気づいた。眼前に立つスーパースターは、確かな証拠なしに、犯罪行為で起訴されたと言う事実である。突如として、マイケルに対する裁判は、巧妙な嘘のように感じられた。』

『裁判最終日のマイケルを見ていると、まるで二人の別人を見ているかのような気分になった。まずは現実のマイケル。そして、現実のマイケルを取り囲んでいるのが、人々が創りあげたメディア上のイメージ、曲解されたマイケルだ。「錯覚の世界」の鏡ん映し出されたかのような歪んだイメージある。メディアは後者のイメージを押し出すため、一定のカメラアングルや照明を駆使し、彼の鼻や頬、肌の色を際立たせていた。一方、現実のマイケルは身なりが良く落ち着いた、謙虚な雰囲気のある男性だ。実物のマイケルはタブロイド誌の描写とはかけ離れた、シャイで物静かな人物だった。判決の日。キング・オブ・ポップとして知られる男は、自身の名声の犠牲となった心優しき人物であることが、その顔つき、身振り、そしてオーラからはっきり見て取れた。彼には傲慢さの欠片もなかった。その顔立ちも、特におかしなところは見受けられない。また、服装やアームバンドも、そこまで常軌を逸していたとは思えない。常軌を逸していたのは、あらゆる手段を使ってマイケルをめった切りにしようと目論んでいたメディアの精神構造だ。』

『マイケル・ジャクソンはメディア・マシーンが創りあげた幻想となった。マイケルは変人(フリーク)であると決め付けることで、大金を稼ぎ出したマシーンだ。スーパースターを破滅させようとした、危険なマシーンである。そもそも、マイケルをサンタマリアの法廷に引きずり込んだのは、メディアの尽力、そしてバシールのドキュメンタリーだ。マーティン・バシールは、マイケルの善意を利用して名声を得た。そしてどういうわけか、マイケル・ジャクソンはその善意がきかっけとなり刑事追訴されたのである』

本当にこの本を読んで、「よくこんな内容でマイケル起訴、逮捕して、裁判に持ち込めたものだ」と、半ばあきれてしまった。
検察側が証拠としてあげているのは、告発した家族のころころと変わる、虐待されたと言う主張のみで、打ち合わせが足りないのか、それともその場でそれぞれが思いつきで演技しているのか、全く話がかみ合わないし、検察側の証人として呼ばれた人物まで、マイケルに有利になるような証言をしてしまうような場面も多々あった。
無罪になって当然、いや、ならなかったらアメリカの司法はどうなっているのか?と思うような内容だと思う。

下記のURLにアクセスすると、2003年の11月に逮捕された後、保釈されたマイケルのインタビューの日本語訳が載っています。
http://moonwalker.jp/interview/03_60minutes.html

衝撃的なのは、マイケルが警察署で暴行を受けた後の腫れ上がった腕を見せている写真です。本当にひどい事だと思います。そして、確かな証拠のない、後に虚偽と分かる告発で逮捕されたマイケルがこういう仕打ちを警察で受けた事はメディアではほとんど語られません。

そして、彼を苦しめてきたゴシップの一つ、肌の漂白疑惑ですが、まだ彼が「白人になりたくて肌を漂白した」と思っている人は多いのではないでしょうか?
マイケルは「尋常性白斑」と言う、肌がまだらに白くなってしまう病気(しかもかなり重症)、膠原病の「全身性エリテマトーデス」と言う、身体中どこでも炎症が起きたり、赤斑が出たり、関節痛、発熱、不眠などを伴う難病に罹っていました。

致死量の麻酔薬が投与された事によって、命を落としてしまったマイケルですが、1984年のペプシの事故の火傷以来、鎮痛剤が手放せなくなったとはよく言われます。
しかし、この「全身性エリテマトーデス」の症状の進行の方が、もしかしたら影響が大きかったのでは?と、個人的には思っています。
関節痛や全身の炎症を伴うと言われるこの病気にかかっていながら、あれだけの超人的なダンス、パフォーマンスをする事が出来ていたと言うのは、本当に本当にすごい事だと思います。

白斑については、1993年の最初の児童虐待の告発の時も、彼の性器の白斑が証拠となって争われており、警察や裁判所にも正式に病気として認められています。しかし、この事もほとんどメディアでは取り上げられません。

「なぜか?」

「尋常性白斑」で色素が失われた肌は紫外線に対して無防備になり、日光アレルギーを引き起こし、皮膚がんの危険も高まります。また「全身性エリテマトーデス」も日光アレルギーを引き起こすとも言われています。
メディアは、マイケルのトレードマークとなってしまった黒いマスクや、黒い日傘、白塗りの顔、サングラスをして出かける姿を写真にとり変人だ、奇行だと決め付けました。
そして、肌が白くなって言ったのは、白人になりたいから肌を漂白していると、嘘を何度も何度も繰り返して、人々にそれが事実であるように思い込ませました。
今更、「あれは嘘でした」なんて、メディアは認められないのでしょう。

興味のある方はこちらの動画を見てください。和訳がついているので分かりやすいと思います。
[Michael Jackson and Vitiligo] マイケル・ジャクソンと尋常性白斑症
http://www.youtube.com/watch?v=amKqa6hzN9w

知らずに批判する事の怖さ、傲慢さを思い知らされます。
マイケル自身のインタビューや、マイケルのメイク担当者、裁判で弁護を担当したトム・メゼロウ氏のコメントもあります。

汗でファンデーションが流れてしまっている写真を見ると何だか泣けてきてしまいます。
スーパースターでいつも人目にさらされてステージに立っている人が、このような外見の変化を伴う病気を持っていると言うのは、どんなに苦しいことでしょう。。。
病気で苦しんでいる人に、メディアやそれをちょっとでも信じた私たちは、それに追い討ちをかけていたのですね。
本当にマイケルにごめんなさいと言いたいです。
彼は一体どれだけの痛みや苦しみに耐えて、その中からあれだけすばらしい音楽、歌、ダンス、を生み出していたのだろう?
そして数々の慈善活動、人道支援までしていたのだから、本当になんて心優しく、強く、すばらしい人だったのだろうと思います。

マイケルの子供の事についても、事実なのかどうなのか分からないような報道がいろいろ出てきますが、上述のマーティン・バシールの番組に対する反論番組「裏切られたマイケル・ジャクソン」の中で、前妻のデビー・ロウが出産について語っているインタビューがあります。

裏切られたマイケル・ジャクソン 4/9 2003-03-08
http://www.youtube.com/watch?v=EgDRtGCID6o&feature=related

デビーの率直さと、思わず流した涙には感動しました。
マイケルの実の子か否かとか、いろいろ報道されていますが、真実がどうであっても、マイケルとデビーにとってプリンスとパリスは二人の間の子供なのだな、と思います。

メディアはマイケルに対して、ずっと残酷でした。
その残酷さが本格的に牙をむき始めたのは、前の日記にも書いたけれど、ちょうど、愛と平和と地球を癒そうと言うメッセージを歌う「Heal The World」、人種や文化の違いを乗り越えようと歌う「Black or White」のヒットの後、その後デンジャラス・ツアーで世界中を回っているの1993年頃でした。

世界には、戦争や差別がなくなると困ってしまう人、それらを利用して、自分たちに都合の良いような世界を創りあげようとしている人達がいます。
その人達の力は非常に強く、その人達はアメリカのメディア、いや世界の主だったメディア(日本も例外ではありません)を支配しています。

その人達にとって、きっとマイケルのような人々の意識、いや魂の奥深い所まで語りかけてメッセージを送ることが出来る歌い手は、無視出来ない存在になっていってしまったのだと思います。
彼らの計画では、これからも人々の中に恐怖や憎しみ、分断を生み出し続け、これからも戦争を起こし続け、彼らの計画を実行に移し続けなくてはならない訳ですから。

デンジャラス・ツアーのDVD「ライブ・イン・ブカレスト」を見て感じましたが、あの頃の彼は人類全体の集合無意識に大きな変革を起こすことが出来る位のエネルギーを持っていました。
コンサートのラスト3曲「ブラック・オア・ホワイト」、「ヒール・ザ・ワールド」「マン・イン・ザ・ミラー」のメッセージ性、そして歌っている時のマイケルのエネルギーの神々しさと美しさは、まるでこの世の人ではないみたいです。

Michael Jackson - Man In The Mirror Live in Bucharest

http://www.youtube.com/watch?v=FMLxlht0Yek

ある意味、こんなすごい事を1990年代の初めにやっていたなんて早すぎた、時代が彼に追いついていなかったような気がします。
彼は人種もジェンダーも超越した存在でした。
いや、それどころかステージに立って歌っている彼は人間を超越した存在のように見えました。
コンサートの会場でファンが「マイケルは神様からの贈り物」と言う横断幕をかかげているところが映ります。
またお兄さんのジャーメインも、マイケルの死後「マイケルは神様からの贈り物だったんだ」と発言していますが、私も彼が亡くなってから、彼からのメッセージを受け取り、そのように思いました。

マイケルが生きていたら、ロンドンでのコンサートを成功させていれば、と私たちファンは思いがちですが、起こってしまった事は、やはり受け止めなくてはいけないし、彼が亡くなった事によって、彼のメッセージは、ロンドンでのコンサートを成功させたより、世界中、地球上の多くの人にすばやく、広く、強く、確実に伝わったのではないか?と思います。

私もその一人です。
マイケルが生きていて、ロンドンでのコンサートを成功させても、きっと私にはメッセージが、今ほど強く効果的には届かなかったと思います。
マイケルからのメッセージは神様からの贈り物なのです。

話は変わりますが、今、読んでいる本「ユダヤ・ロスチャイルド世界冷酷支配年表」アンドリュー・ヒッチコック著から、少し引用します。

『CRF(アメリカのアシュケナージ・ユダヤ人によって設立された外交問題評議会)の最初の仕事はマスメディア支配だった。~中略~ マスメディアの支配は、単にロスチャイルドが聞きたくないニュースを検閲するだけが目的ではない。第一の目的は、どのニュースが重要で、どのニュースが重要でないかを強調することによって一般大衆を条件づけするための教育ツールとして利用する事にあった。一番いい例が新聞で、月替わりで適当な有名人の不祥事をでっち上げては一面トップに掲載し、われわれ一人ひとりに直接、または間接的に影響のある進行中の戦争については簡単な記事を中ページに埋もれさせたりする。』

この文章を一読しただけでは、マイケルとの関係性が急には結びつかないかもしれません。
しかし、マイケルが起訴、逮捕された2003年は何が起こっていたでしょうか?
そう、ブッシュ大統領がイラク戦争を始めた年です。
そして、イラク戦争が進行し、戦死者が増え、戦争が泥沼化し、イラクに大量破壊兵器がなかった事も公になり、ブッシュ大統領に批判が高まる中、マイケルに対する裁判が進行し続けていました。

9.11以降、世界の様子は混迷を極め、彼らの計画は着々と進行し続けているように思える時もあります。
メディアの流す情報は偏り、支配している人達の思惑、都合の良いように大衆は導かれて行っているように思える時もあります。
9.11について語り始めると日記がもう一つかけてしまう位なので、また日を改めたいと思いますが、その混迷中でも、確実に良い変化の兆し、何かが動き出し、光の方向へ歩みだしている事も日々感じています。
そう人類の集合無意識の変化と、それが持つパワーが、良い方向、光の方向に向かっている事を感じています。

私は瞑想している時も、普段も生活の中でも、マイケルの魂が、まだ地球の近くにとどまっているのを感じます。
これからの人類や、地球の変化をまだ見守っていたいと思っているようです。
「それこそが、僕がこの地球上に生まれてきた意味、仕事だったんだから」と、言いたいみたいです。

私たち一人一人がワンネス、宇宙との繋がりを取り戻し、メディアや他の存在に譲り渡してしまっている自分自身を取り戻す事、大事な事、最初の一歩だと思います。

最終的に彼らが勝つ事は出来ない。
なぜなら、魂の奥の奥まで彼らが支配したり蹂躙する事が出来ないし、私たちは永遠の存在であるのだから。
彼らが支配したと思っても、彼らの魂は生まれ変わったら、支配される側に回るかもしれないのだ。
全く無意味の泥レース。
でももうこんな事は終わりに近づいている。

マイケルの事をメディアを使って、いくら貶め、蹂躙しようと、メッセージを受け取った人の心の奥底まで操作する事は出来ない。
最後の最後まで、大きな仕事をしてくれたマイケル。
本当にありがとう!

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ラクシュミ&サラスワティにようこそ

cuteこんにちは。ラクシュミ&サラスワティでは、エネルギー・ヒーリング、透視・オーラ・リーディング、クリスタル・ヒーリング、リコネクティブヒーリング等、またバリ島の芸能、バリ舞踊についての情報を発信して行きます。

cuteヒーリングやリーディングを受けてみたい方、興味のある方、バリ舞踊を習ってみたい、Kumiが出演するバリ舞踊イベントを見てみたいと思う方は、サイドバーの情報をご覧になって、お気軽にお問い合わせくださいhappy01

flairヒーリングに関するお知らせflair

ヒーリングセッション受付再開しましたhappy01sign01

年末年始は恒例のバリ滞在です。12月23日発~1月5日に日本に戻ってきます。その間はセッションはお休みさせていただきます。

年内にエネルギーのお掃除をしてすっきり新年を迎えられたい方は、ご予約の枠も限られていますので、お早めにご連絡くださいwink

リコネクションのセッションは2010年年明け以降、開始したいと思います。こちらはまた改めて年明け以降お知らせします。

ヒーリングDayの再開も2010年1月以降になります。よろしくお願いします。

ヒーリングDay以外でも、平日の夜、土日などに個人セッションを受け付けていますので、お気軽にお問い合わせ下さい。

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今日はマリーチアーサナD記念日♪

アシュタンガヨガを始めて、苦節5年8ヶ月目。
先々週の水曜日に、今まで一度も手を取る事が出来ず、完成していなかった私にとって難関のアサナ「マリーチアーサナD」右サイドがやっと取れるようになりました!!

shinefujiパンパカパ~ン、おめでと~~~!!!fujishine

しかし、先週の水曜日は体調不良なのか、右サイドは手を取る事が出来ず、本日、めでたく2回目の成功を見ましたので、今日を持って私の「マリーチアーサナD完成記念日」とさせていただきますhappy02

このマリーチアサーサナD、足が長く細く、ある程度の股関節の柔軟性のある人は、割と簡単に取れてしまうアサナなのですが、私は足が短く、骨太&バリ舞踊で鍛えたぶっとい太ももを持つ身なので、本当に難しかったのです。

おまけにバリ舞踊はがに股で骨盤が外に開き気味になってしまうので、股関節の内転を伴うひねり系のこのアサナは、私に取って、本当に本当に「いつ完成出来るか!?」と、半ば泣きが入りそうな代物のように思えました。
特にバリ舞踊は右重心が多いので、右の股関節は左より開き気味で、余計に難しかったのです。
左側は3年半くらい前から、調子の良い時は取れるようになっていたのですが、ここ数ヶ月、体重が減ってきているので、足もちょっと細くなり、やっと右側の完成を見ることが出来たのです(感涙crying
ああ、あきらめないで続ける事の大事さを、今日は改めて感じ入りました。

最初から「出来ない」と、思ってしまえば、いつまで経っても出来ないし、初めから「出来ない」と兜を脱いでしまえば、出来なかった時の言い訳も出来るし、そんな自分を認めたくないと言う、恐れから来る防衛本能だったりするのですね。

私は何でも自分が心から「やってみたい!」と、思った事は、絶対にいつか出来ると思って取り組むようにしています。どんなに時間がかかっても、いつかはやり遂げるし、もしやり遂げる事が出来なくても、そこに向かうプロセス、挑戦するプロセスが一番大事だから。
ヨガって、アサナの完成がゴールじゃなくて、そこへ到る道のりの事なんだなと思います。

さて、そうなると次は「スプタクールマサーナ」の完成と、「ガルバピンダーサナ」で手を折り曲げて、顔まで持っていくという事が、アシュタンガ・ヨガのプライマリーシリーズで、私が達成していない事、次の目標になります。

やっぱり、あと4~5Kgは落とさないと、これは難しいかも!? ますます、ダイエットに精を出さないとな~。

あ、私が体重を落とす事が出来た理由については、また今度の日記で、改めて書きますね!wink

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阿佐ヶ谷バリ舞踊祭の報告

ふう・・・、あっという間に8月も半ばを過ぎてしまいましたね。。。sad

今年は結局、梅雨はいつ明けたのか良く分からないまま、やっとお盆を過ぎてから晴れの日が続いていますが、夏大好き人間の私としては、なんとなく不完全燃焼の感はいなめませんweep

今年の阿佐ヶ谷バリ舞踊祭は、いつもの舞台、神明宮が改修工事中のため、先々週末8日、9日に杉並区立第一小学校での開催されました。私の出番は9日でしたが、8日は恒例のスタッフカメラマンとしての参加です。

2日間とも、今にも雨が降り出しそうな曇り空で、ムゥッとした湿気の中での開催でしたが、8日は何とか天気が持ち、校庭での開催で。9日は残念な事にリハーサル中にゲリラ豪雨に見舞われ、開演直前に雨は止んだものの、校庭は水溜りがすごく、体育館での開催になりました。

私の晴れ女パワーが9日は効かなかったけれど、考えてみれば、私はカメラマン時代から晴れ女だったし、カメラマンとして参加した8日にポツポツ雨が降ってきた時に気合を入れたら雨が止んだので、8日に晴れ女パワーを使い果たしてしまったのかもしれません。

でも、開演直前や、開演してからのゲリラ豪雨でなくて良かった!&今年は神明宮ではなく小学校での開催で本当に良かった!
神明宮だったら、きっと中止になってしまっていたと思うけれど、今年は雨だったら体育館での開催と言う事が決まっていたから、これはラッキー、不幸中の幸いだったと言えるでしょう~bleah

前日、カメラマンとして写真を撮りながら、小学校の校庭で、ジャングルジムなどの遊具背景に踊るみんなを見ていて、「やはり、神明宮の神秘的な雰囲気の中で踊るのと違い、観客が周りや背景が見えなくなるくらいの本当にすばらしい踊りをしないと、感動をしてもらえないな」と、思いました。

ずっと、相方のちづちゃんと、すばらしい踊りを観客の皆さんに観ていただくために、ずっとこの8ヶ月間練習をしてきた訳ですが、「これは、明日は本当に本当にすばらしいレゴン・クントゥールを踊らなくては!」と、決意を新たにしました。

そして、本番の日はリハーサル中にゲリラ豪雨がやって来てしまい、体育館で踊る事になった訳ですが、この状況の中で、新たに私の目標は、「私たちが踊っている間は、その場を体育館ではない場所に変える、別の場所にみんなを連れて行こう」にパワーアップしました。

体育館の中は、すでに満員のお客さんでぎゅうぎゅうになっていて、熱気と湿気でむせ返るようでした。その中で踊ったクントゥールは、私とちづちゃんがずっと目標にしていた、ピッタリ息のあった美しい踊りが見せると言う事に集中して、気持ちよく踊れました。

真っ白な衣装に身を包み、稲の女神デウィ・スリが白鷺に姿を変えて地上に現れ、そして天に戻っていく情景を心をこめて踊りました。とても暑くて、酸素が薄くて、最後の方はナチュラルトリップ状態だったけれどネ・・・。

終わった後に海のうさぎちゃんや、蛙ちゃんから聞いたのですが、そばに座って見ていたちづちゃんの生徒さんが「天女の踊りだ・・・」と言って、涙を流しながら見ていたと。私たちの踊りの後の休憩時間にもずっと号泣していたそうです。彼女は感動屋さんで、今までも私たちの踊りを見て涙ぐんだりしているのを見た事がありますが、号泣したのは初めてじゃないかな?

最初に目標設定した、体育館じゃないところへ、別の場所へ連れて行くことに成功出来たかもしれないな?と、この時、ちょっと思いました。

今年も阿佐ヶ谷バリ舞踊祭で踊れた事を、とても感謝しています。ありがとうございました。

そして、最後のジョゲでは、久しぶりにルバノのお面をつけて、赤いベレー帽をかぶって、怪しいヒゲ面のおじさんになりきって、これまた楽しくはじけまくって、お客さんを誘って踊りまくりましたhappy02

レゴンのような美しいドラマチックな踊りも大好きだけれど、やっぱりこういう楽しくて、ユーモアのある踊りも大好きなんだなあ~。
「また、近々ルバノ隊を再結成して、踊りたいね!」と、海のうさぎちゃんや、蛙ちゃんとも話しました。さてさて、この話は今後、どう言う展開になることやら!?

そして、来年の阿佐ヶ谷バリ舞踊祭は、改装の終わった新生神明宮で行われるそうです。今から楽しみですね!wink

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アドバンス卒業旅行と温泉三昧 その2

さて、分杭峠を後にした我々は、松本の美ヶ原温泉「和泉屋善兵衛」に向かいました。
http://www.izumiyaryokan.com/
明治時代に創業の歴史ある古民家風の作りで、風情があります。お風呂も露天風呂、足湯、貸切風呂、家族風呂他、何種類もあって、充実していそう。それに夕食もメインの料理を3種類好きに選べると言うサービスが嬉しい。

私たちが通された部屋は、別館にある2階のお部屋。お部屋の作りは古民家風で素敵なのだが、あまり人の出入りが多くないのか、通された時に、いやに空気がこもっていて、ちょっと嫌な雰囲気があったので、4人総出で大浄化大会。ゴーストバスターズ参上って感じですねdash

さて、だいたいお部屋がきれいになったところで、夕食前に露天風呂に直行!spa
木の湯船の匂いも気持ちよく、外の空気も気持ちよく、ほとんど貸しきり状態だったので、私はまた風呂の中で泳いだり、バシャバシャやったりでおおはしゃぎhappy02

お風呂の後は、お楽しみの夕飯。すっかり食べる事に夢中になってしまって、写真を撮るのもすっかり忘れ、何を食べたのかもほとんど記憶にない有様ですが、どれもこれも美味しかったです!

そして夕食後は、今度は貸切風呂へ。ここでは、他の誰も入ってこないから、スクールでの経験や、自分の個人的な話、家族の話など、プライベートな話題で盛り上がる。いや~、女4人の温泉旅って言うのも、オツですね~happy01

私とトモちゃんは、その後、また露天風呂によって、すっかり湯だってから、部屋に帰り、今度はマッサージ大会などをしてから眠りにつきました~。

朝食は、オーナー自ら焼いた玉子焼きや、その場で火で温めて作る手作り豆腐など、美味しいものがたくさん。お腹いっぱい食べて、コーヒーを本館の風情あるロビーで飲んでから、旅館を出発!

その後は、2つほどワイナリーを巡り、ワインや野菜などを買い込みました。どこに行っても野菜が新鮮で、とても安い!
一昨日の夜、ここで買った野菜を使って、ラタトゥイユを作りました~lovely
美味しい野菜って、本当に食べていると幸せになりますnote

その後は、天気がイマイチ悪いけれど、せっかく来たからビーナスラインへ。そして、私がネットで見て「是非、行ってみたい!」と思った、名物のすごい高さのかきあげがある「利休庵」と言うお蕎麦屋さんへ。
http://www.rikyuan.net/index-m.htm

ここのお店で使ってある野菜は、自家農園で、自然農法によって作られているこだわりの野菜達。野菜好きの私にはたまりません。かきあげはてっぺんにエビが乗っています。もちろん、蕎麦は手打ちです。

これが名物かきあげ。
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私以外の3人は、韃靼そばと普通のそばの二色盛りと、かきあげと天ぷらをシェアして食べていました。
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自家製野菜のサラダ。このボリュームで500円。信じられないでしょ?
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私は冷やしかきあげ蕎麦を食べました。
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美味しかったです~!note

その後は、M・Iさんお勧めの山梨市にある立ち寄り温泉「ほったからし温泉」に立ち寄りました。

富士を望み甲府盆地を見下ろす眺望と”星空が天井”と謳われる夜景が売りのダイナミックな露天風呂です。浴場は2箇所あって、名前は「あっちの湯」は「こっちの湯」。私たちは甲府盆地を一望できるロケーションの「あっちの湯」に入りました。

この時も雨が途中まで降りそうで、眺望を心配したのですが、私たちが風呂に入ったら雲がどんどん切れて、日まで差し始めました!sun
またここでも晴れ女ッぷりを発揮してしまった私happy01good
雄大な景色を見ながら浸かる温泉は、また格別な味わいがありました。

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お風呂から上がる頃には、雲間から富士山まで見え始めました!fuji
こーんな雄大な景色を目の前に温泉に入っていると、何だか裸でいるのも自然な気分になってきてしまいます。いや~、すばらしい開放感でしたshine

その後は、また音楽を聴いたり、よもやま話をしながら、楽しくドライブし(M・Iさん、ありがとう!)、帰路に着きました。

ところで、私は卒業旅行のリチュアルの最中辺りから、疼きだした口内炎がこの日に噴出し、帰りの談合坂で食べたほうとうを飲み込む時は、かなり食事をするのが困難になっていました。この口内炎も右側の舌の付け根に出来ています!

私は風邪を引かない分、毒素を出す時は、口内炎という形で出る事が多いのですが、これが、のどのリンパも腫れるし、舌の付け根に出来るので(しかも1センチ弱くらいあるので、相当痛い)、耳まで響いて頭はガンガンするし、この一週間は、かなりの痛みに耐え、辛い思いをしました。

レバナのリチュアルを受けてからのエネルギーシフトの影響と思われます。この辛い口内炎、大体半年に1度くらいしか出ないのに、今回は5月にも出来て、今回7月にも出来てしまいました。いやいや、このアドバンスコースを受けていた時のエネルギーシフトのすさまじさを表していると思います。

その他、この数ヶ月は、右半身の足の外反母趾の痛み、膝の痛みが5月にひどくなり、その後は、肩や背中の右側の集中的なこわばり、肩こり、最後は口内炎と言う形で出ました。

取り組むべきテーマは見えているのですが、なかなか真正面から向き合うのがヘヴィだったりして、まだ後回しにしている問題もあります。やっと、卒業旅行も終わって落ち着いたので、これからまた自分と向き合うワークを続けて行く作業が続きそうです。

その他、アドバンスコースを受けてきた中で、経験した変化、気がついた事などいろいろあるので、その辺りもおいおい日記に書いていけたらな~!と、思っています。実りの多い、この4ヶ月間でしたwink

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アドバンス卒業旅行と温泉三昧 その1

1週間前の事になりますが、7月25日~26日にヒーリングのアドバンス・コースの卒業旅行がありまして、その後、気の合う仲間たちと松本の温泉に泊まって来ましたnote

ヒーリングのアドバンス・コースは4月~7月の4ヶ月間だったのですが、思ったより内容が濃くて、その間中、エネルギーシフトの波が何度かやって来て、肉体的にも精神的にもなかなかハードだったので、無事に終わって卒業旅行を迎える事が出来て、本当に気持ちも楽になり、開放感で一杯でした~happy01

おまけに気の合う仲間、トモちゃん、M・Iさん、M・Kさんと、その後、松本の美ヶ原温泉に一泊する予定だったので、とても楽しみでした。

M・Iさんが運転してくれるレンタカーで、私たちは他のクラスの人たちとは別行動で出発!

車の中では音楽を聴いたり、話をして盛り上がったりしながら、あっと言う間に
諏訪インターへ。ここで、おぎのやの釜飯を食べましたnote
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ここの釜飯は、母の郷里が新潟の上越市なので、子供の頃は帰省の度に、横川の駅で買ってよく食べていました。なつかしい味でしたね~lovely

その後は、温泉好きのM・Iさんがアレンジしてくれて、諏訪湖半の立ち寄り温泉片倉館へspa

明治6年に片倉財閥によって建設された、風情ある洋館の中に温泉はあります。お風呂も大理石作りの風情ある建築で、湯船も広く100人が一度に入れるそうです。
http://www.katakurakan.or.jp/

お風呂は深さも深く、私が立っても肩の下くらいまでの深さがあったので、温泉ではじっとしていられない私は大喜びで端から端まで何度も行ったり来たりしながら温泉を楽しみましたnote

その後は諏訪大社下社に参拝。
http://park14.wakwak.com/~systemheart/suwataisya/

まずは秋宮へ。この旅行中は、九州や山口に大雨を降らせた前線の影響で、天気が不安定で、秋宮に着く直前からバラバラと雨が降り始めました。
私は強力な晴れ女ですが、車に乗っている今回のメンバーは全員晴れ女のはず。そこで私は伝説の晴れ女パワーをここで発揮しようと気合を入れました。

龍の口から温泉が出ています。駐車場からの入り口にありました。すごい熱々で、とても口にはふくめません。
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秋宮の神楽殿の前まで来てもまだ雨は上がりません。
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しかし!ここで私は気合を入れて、もう一度、晴れ女パワーを搾り出したら、なんと、参拝する前に日が差してきたではないですか!?sun
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また晴れ女伝説を更新してしまいました!!happy01

神楽殿のぶっといしめ縄
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その後、春宮にも参拝しましたが、こちらは工事中で、ちょっと風情はなかったです。
春宮にあった二股の杉。縁結びのご利益があるそうです。
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その後は、卒業旅行の宿泊先、気の里・入野谷へ。
http://www.ina-city-kankou.co.jp/cms/modules/tinyd2/
ゼロ磁場で有名な分杭峠に行く方などが良く利用される宿のようです。
http://bungui.fineup.net/

ゼロ磁場とは、私は今回初めて知ったのであまり詳しくはないのですが、中央構造線と言う大断層の上にあって、両側から押し合う力によって、エネルギー無いゼロに近い場があるそうです。実際、入野谷で磁石を使って実験をしましたが、磁石はくるくる回ってしまいました。

今や、新たなパワースポットとして、気の癒しを求めてくる人が増えている場所のようです。私たちは温泉で遊んできて時間がなかったので、明日、卒業旅行の解散後、行く事にしました。

スクールの仲間と合流し、夕食の後は、レバナの卒業のためのリチュアル(儀式)を受けます。
入野谷の夕食。なかなか美味しかったです。
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リチュアルの事はあまり詳しくは書けないのですが、外で火の儀式をやる予定だったのに、夕方にスコールが来てしまい、せっかく用意したものが水浸しで台無しになってしまい、急遽、入野谷の隣にある体育館でやる事に。

卒業生61人とスタッフとレバナが入れる大きな円を急遽作り、東西南北、土、火、水、風の四大元素をつかさどる大天使達(ウリエル、ガブリエル、ラファエル、ミカエル)を呼んで、それから儀式は始まりました。

レバナのリチュアルは私は何度も受けた事がありますが、今回は人数がいつもよりずっと多いので、なかなか時間もかかったし、エネルギーもすごかったと思います。

私はリチュアルの最中、右の腰に痛みを感じました。ここ数ヶ月、私はずっと右半身の痛みやこわばりに悩まされてきましたが、今は右半身に溜まったエネルギーを開放するのがテーマのようです。
その他に、リチュアルの最中、急に鼻が出てきたらしく、ずっと鼻をかみ続けている人もいたし、後でトモちゃんに聞いたら、やっぱり腰に痛みを感じたそうで、他にもそう言っている人がいたそうです。リチュアルの最中から、もうガンガンにエネルギーシフトが始まっていたのですね。さすが、レバナパワー!!shine

レバナのリチュアルが終わった後、M・Kさんの部屋に移動して、10月に結婚の決まったT・Kちゃんのためのリチュアルをトモちゃん主導で、仲間内で行いました。私はスクールでも担当する事の多い、お部屋の浄化係り。
トモちゃんの考えたリチュアルは、「ほぉ~~!!」と思うくらい良く出来ていて「さっすが、元魔女!(前世でね)」と思うような感じでしたね。

一夜明けて、今度はワークショップで、白い丸く切った布に自分のヒーリングスペースを作るために絵を描いて行くという事をやりました。

真ん中は丸く空けて、スピリットを象徴する自分の気に入ったシンボルを描いて、後は四つに区切って、地、火、水、風の四大元素を表す絵を描いて行くと言うもの。
私はもともとお絵かきが大好きなので、かなり楽しんで描きましたが、事前に内容を教えてくれれば、自分の描きたいシンボルを調べていったのになあ・・・と、ちょっと残念でした。

ワークショップが終わり、入野谷をチェックアウトし、お昼を食べに「野のもの」と言うレストランへ。
http://www1.inacatv.ne.jp/~nonomono/
ここで、マクロビ風のお弁当をいただきました。動物性食品は一切使っていないので、ビーガンの方も安心して食べられます。
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味付けも絶妙で、素材も新鮮で、本当に美味しかったですhappy02
ここはおみやげ物屋さんも併設していて、その他、地元で取れた新鮮な野菜も売っていたので、私はナスや黄色いズッキーニなどを買い込みました。

その後は、スクールのみんなと別れて、我々4人は分杭峠へ。行く途中はきれいに晴れていたのに、峠に近づいて行く途中からだんだん怪しい雲行きに。
かなり標高もあがって来たので、外に出たらかなり涼しくひんやりとしていました。ゼロ磁場だからなのかどうか、とてもいい気持ち!
その後、瞑想する場所に近づいていくにつれ、身体が軽くなって行く感じ。右の腕もぴりぴりしびれ始めた。

まず、いろいろ身体に良い効能があるというお水を、足場が悪い中、ロープを伝い何とか、ペットボトルに汲んで、またロープを伝い、瞑想用に作ってある木のベンチに何とかたどり着いた。

「さて、やっと瞑想が出来るわ~!」と、落ち着いてランニングエナジーを始めて3分も立たないうちに、なんと雨がザァアァァ~!!!っと、すごい勢いで降ってきたrain
「こんなの私の晴れ女パワーを使えば!!」と、思って気合を入れて、傘を差しながら瞑想を続けてみたけれど、雨は強くなるばかり・・・
ゼロ磁場では、私の晴れ女パワーは通用しなかったみたいbearingホウホウの体で、ゼロ磁場を後にした我々でした。。。
ゼロ磁場の気を自分の身体を通じて感じてみたかったのに、今回はそれば出来ずに残念。まあ、また来いと言う事なのかな??

この後、その2に続く~!

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